オートバイに関する思い出

バイクにまつわる思い出話

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僕が最も敬愛するライダー、レイニー.YZR500が一番好きだった.


僕は親戚一同が皆車好きで小さい頃からバイクや車を見ていました。 今となっては定かではありませんが、小さな頃に当時の西仙台ハイランドにレースを見に連れて行ってもらった記憶があります。 今調べてみると当時はSP250やTT-F3の絶頂期だったんですね。 エンジン音が非常にやかましく、耳を塞いだ思い出があります。

その後はミニ四駆、ラジコンにはまりつつ小学生を過ごしました。で、中学生の時に今では有名な某豆腐屋の自動車アニメが 始まり4輪車に興味を持ち始めました。当時は三菱&マキネンがランサーエボリューションでWRCを圧倒していた時代であり、 WRCの豪快なテクニックに憧れ雑誌をめくっていたものです。

中学校後半は受験勉強等が忙しくあまり遊べなかった気がしますが、今思えば一番充実していた次期のような気もします。 その後4輪熱も冷め、興味は2輪に移っていきます。 当時実家には叔父のFZ250が放置してあり、それに乗りたくてしかなかったんですね。 でも、まだ自動車の知識も殆ど持っておらず、10年以上放置されていたFZを動かすことは出来ませんでした。 で、爺さんのスーパーカブがあったんですね。まず、それに乗ってみました(笑) いやぁ、めちゃくちゃ怖かった覚えがあります。3馬力程度ですが、右手を捻るだけで進むんですから。

中学校卒業後、進学することになりますが高校へは行かず県外の専門系の学校に進学しました。 実家を出て、遠くの(今思えば近い)学校に行こうと思ったのは、人と同じなのが嫌だったのと 国立だったので県立高校より1年早く完全週休2日制になっていたこと、そして自動車やバイクの免許取得が 自由だったことからです。 この選択は今考えても大成功だったと思います。寮に住んだことでいろいろな良いこと悪いこと体験できましたし、 寮時代に多くの友人たちとめぐり合えました。また、クラスでバイク好きな友人が2人ほど出来、この友人たちとは いろんなところに走りに行きました。

入学すると直ぐにでも免許を取ってバイクを買いたかったのですが、所詮16歳、そんな大金を持っているはずがありません。 この年の夏休みに桃の配送のバイトをして約8万円程度を貯めました。しかし、自動車学校に通うにはまだ足りず 次の年のお正月のお年玉を合わせてやっと15万円ほどを貯めました。 そして、その年の春休みに念願かなって自動車学校に行くことになりました。 僕の親はバイクの免許を取ることもバイクに乗ることも全く反対せず、むしろ男子なら当たり前だと思っていたようで なんら反対もされずに免許を取ることになったのです。 自動車学校ではスラロームで再履修をくらうものの、検定は一発で合格。試験場の筆記試験も一発で通り晴れて 普通自動二輪免許を得ました。

免許を取りましたが、乗るバイクがありませんでした。FZは軽二輪のため17歳では任意保険の金額が年10万円もかかり 到底維持できそうにもなく、半ば諦めていました。 そこで実家に帰るごとにバイク〜バイク〜と呪文のように叫び続けた結果、ついに母がバイクを買ってあげると言ってくれました。 高い任意保険料は払えませんでしたので、4輪の保険に特約で保険を付けれる原付2種を探し始めました。 当時はオフロードに憧れていましたので、DT125RかKDX125SRをターゲットにしてバイク探しを始めました。 しかし、DTは前の年(2000年)を最後に絶版になっており、中古車市場価格も上昇気味だったと記憶しています。 KDXでも良かったのですが、DTにはセルとキャリアがついており、ツーリングをしてみたかったのでDTが一番目標でした。 そして探し始めてから2ヶ月後、ついに実家から20キロほど離れたYSPでDTを発見しました。 93年式10800キロで16.8万円でした。相場からはかなり安かったと思います。 発見してから直ぐに商談中にしてもらい、叔父を連れてきてみてもらい2晩くらい母と話して買うことに決めました。 サービスマニュアルとパーツリストをつけてもらって19万円程度(自倍責込み)でした。 程なくして2002年5月30日、ついにDT125Rが納車されました。 いやぁ、前の日は嬉しくて嬉しくて学校から跳んで帰った記憶があります。 実家に運ばれたDTは綺麗に整備してあり、ピカピカでした。 今思えば、20万円と言う大金を出してくれた母にはもっと感謝しておくべきでした。

DTをゲットしてからと言うもの、毎週のようにあちこちの山に走りに行きました。 当時はガソリンも110円程度でしたので、貧乏学生にもどうにかなりました。 南東北の道はかなり制覇したと思います。タイヤも自分で2回交換しました。 03年には念願の北海道ツーリングも達成し、DTには2万キロほど乗りました。

その後、どうしてもロードスポーツ乗ってみたく、またまたバイトを頑張って90年式のRGV250を買いました。 車体が軽く、すばらしいパワーのバイクでしたが、エンジンを焼きつかせてしまい(買った時から少し抱きついていた) エンジンを載せ換えたり、倒立フォークのOHをしたりかなり弄くり倒しました。

その後、親戚の会社の方からCBR400RRを譲っていただけることになり、9500キロ程度のCBRを申し訳程度の5万円で 譲り受けました。この方はバイクを買ってから関東に転勤しそのままバイクを納屋においていたらしく、 受け取った当初は酷い汚れようでした。たしか車検も1度しか受けていないらしく、僕がユーザー車検で 2回目の車検を通し、ついに公道に復活させたのでした。保険にも入りました。初年は約8万5000円程度払ったと 記憶しています。2006年に3回目の車検を通し、愛知に引っ越した際も一緒にもって行きました。 そして2008年、初年度登録から20年が経ち4回目の車検を受ける予定です。 このCBRは昭和63年に登録されてから一度も廃車されておらず、標識も当時のままを保っています。

この頃になると、何故か捨てられるバイクがあると言う話しが自然に耳に届くようになり(笑) その都度、もらったり安く買ったりしてるうちにバイクが数台集まってしまいました。 実家にはFZ250,RGV250,DT125R,SRX400が実働で保管してあります(ナンバーと保険が効いているのはDTだけですが)。 あとは、87歳になる爺様のカブとRZ50とRG125の残骸があります。

全てのバイクを合わせると6万キロくらい走っていると思います。 今後の予定は大型自動二輪の取得ですね。 今後乗りたいバイクは
・VFR750R
・RZV500
・XTZ660Tenele
・NR750
です。

Descript at June.6.2008

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